第二子の名前

昨年第二子が生まれた。
ぎりぎりまで仕事でバタバタしたせいで、最後まで本当に生まれるのか実感のない中で、我が子の誕生を迎えた。
できれば落ち着いて迎えられる体制を整えてから子作りに励みたい。なにごとも順序は大事です。

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12月21日の夕方、長男の保育園のお迎えに行くときに妻が「おなか痛い」と言ったのでぼくは早めに仕事を切り上げて妻と一緒にお迎えに行った。どうやら「それ」が来たっぽい。助産院に電話。「とりあえず夕飯食べておいで」ということで入院用の荷物をまとめて新宮へ。

最後の晩餐は美味しいイタリアンのお店リコッタ。ボロネーゼがすごく美味しかった。まるで出産直前の様相はなく、穏やかな食事だった。その店を出たのが7時。助産院に到着して、ぼくは妻の隣の部屋で息子と遊んでいた。

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(まるで我が家のようにくつろいですみません…しかしそれも助産院のいい点)

最初のお産の経験から、「出産は長期戦」と思い込んでいたため、近くのスーパーにお菓子などを買いに走った。
妻のうめき声がだんだん苦しそうになっていくのを聞きながら息子とお菓子を食べつつ、おもちゃで遊んだり、ときどき様子を見にいく。

「せんせい、あと何時間くらいですかね」と呑気に聞いたら
「もう何時間も待ってられないわよ!」と言われた。

思ったよりだいぶ早い。だってさっきまで優雅にイタリアン食べてたのに。
妻は陣痛の波を呼吸法で乗り切っていた。産前のヨガで習得していたらしい。そしてお腹のあかちゃんに酸素を送るのが「うまい」とせんせいにほめられていた。「お腹の子も頑張って下がってきてるのがわかる」と妻は言った。男にはよくわからない感覚だ。
陣痛のたびにあかちゃんが下がってくる。痛みに声を出すと力が口から抜ける。ふんっと息をもらさず赤ちゃんを押し下げる。「よし次もっと出そうか」と先生が声をかけたり「次はいったん休みます」と妻が返したり。なるほど…。

結局生まれたのは21時02分。約2時間の安産だった。
もちろん妻は苦しそうだったけど、長男のときとは比べ物にならないほど穏やかな出産だった。
それは助産師の先生たちとの信頼関係が一番大きかったように思う。
そして、フリースタイル出産であったこと。自分が楽な体勢で産めたことが大きかったように思う。

1度めは京都の病院でのお産だったんだけど、分娩台でのお産で、赤ちゃんにうまく酸素が回らずに危ない状況だと判断されて長男は自力では出てこれず、バキュームで頭を吸引してのお産だった。酸素がまわってなかったためか生まれた直後は赤紫色で、お世辞にも「かわいい」とは思えなかった。

しかし今回は本当に綺麗な状態だった。生まれた直後からすごくかわいかった。
「この子はすごい。自分で出てくる力を感じた。自分はそれに合わせてただけ。一体感がものすごかった」というようなことを妻は言っていた。見ていた方からしても、素晴らしいお産だと感じた。妻の姿は神々しかった。最後は僕の方がおいおい泣いていた。立ち会えてよかった。

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その後の入院生活も助産院ではすごく快適で…
といったことも書きたいんだけど長くなるからここでは割愛。とにかく助産院でのお産にしてよかったと心から感じた。


 

さて、名前である。
さんざん悩んだ。いや、悩んだというより思い浮かばなかった。
長男の時は妻がふと急に「共生と書いて”ともき”でどう?」と産前に思いついて「それ最高じゃん!」とあっけなく決まった。今回もそういう風に「降りてくる」のを待っていたんだけど、やがて年があけて産後2週間が経ってしまった。提出期限前日までなやんだ。そうして決めた名前は「誉丸(ほまる)」になった。

「どうも。森ほまるです」

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知り合い、というかこちらが一方的に知ってるだけなんだけど、京都に藤原誉(ほまる)さんという方がいる。
その方は田歌舎という場所を作って、僕らの目指すような持続可能な生活を実現している。いろんな候補を出していく中で「ほまるって名前かっこいいよね」って話になって、うーん、京都の誉さんもすごいけどだったら丸亀の「陣」さんのほうがいいや。と僕は答えたらしい。

で、再び「ほまる」がなぜ浮上したかというと…「ほまるって『ほ』に『まる』で【ぽ】じゃん!」ってことに僕が気づいたから。実はベビーネームがなぜか「ぽっちゃん」で、ぼくら夫婦はお腹にむかってぽっちゃんと呼んで話しかけていた。生まれてからも暫定的に「ぽつ」とか「ぽつねん」とか呼んでたらなんとなく「ぽ」っぽい感じに見えてきた。こんなことを本人が小学生くらいになって知ったらなんと思うだろう。「お前をポと呼びたかった。だからほまるにした」なんて。

漢字は誉の一文字か、とか歩丸か、とかいろいろ出たし、ぼくは保円で「平和を保つ」意味合いの漢字を充てたいと言ったけど字画などを考えて最終的に「誉丸」になった。
誤算だったんだけどほまると呼ぶ時に田歌舎のほまるさんをやっぱり意識することがある。だから違和感のようなものがまだある。そのうちに消えるんだろうけど、やっぱり生きている人の名前を頂戴するというのは難しい面がある。ぼくが目指す理想像であるがゆえに、余計に感じるのかもしれない。早く完全に上塗りしたい。名前自体は素晴らしい名前をつけれたと思う。

これから、森誉丸をどうぞよろしくかわいがってください!img_3742

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