【祝】29歳になりました!

こんばんはモーリーです。ここ最近なんだか怒涛の日々が続いていて、気づいたら29歳を迎えていました。

いや〜平成元年に生まれた身としては、平成のあゆみとともに成長して、そして今平成が終わろうとしていて、平成最後の誕生日ってことで今年の誕生日は妙に切なさを感じます。

節目ってことで近況報告を残しておきます(誕生日と元旦くらいは近況を残したい)。

トンネル抜けて

ここ数年は子どもが誕生して、京都のBARを畳んで、熊野へ移住して、地域おこし協力隊になって…とめまぐるしく環境が変わり、責任も大きくなり、自分の都合だけでは生きていけないという状態に慣れずに悶々とした日々を過ごしていました。ああ自分の都合最優先で気の向くまま生きていたい。何もかもが思い通りにいかない日々に僕の目はいつのまにか曇ってしまって声は自分の声ではなく聞こえていつも体がだるくて眠くて気づいたら無意味にスマホをいじってて、遊ぼうとねだってくる息子にイライラして「何かしなきゃいけない」と焦りはあるけど何を優先すべきかわからなくてやることなすこと中途半端で、いろんなことに手を広げたぶん多くの人に迷惑をかけていてそんなことへの「処理・対応」がいつも頭の中の大半を占めていて僕のクリエイティビティは死んでしまっていた。それでも前に進むしかない、と不義理を押し通して暗闇の水中を必死にもがいているような、本当に息苦しく前の見えない数年間でした。

この春に地域おこし協力隊を任期満了で卒業してその後もしばらくそんな状態が続いてましたが、借りてた畑を手放したりクラウドファンディングの後処理をしたり、協力隊時代の細々した仕事を全て打ち切ったり、ここ数年で広げすぎた風呂敷を畳む作業をコツコツと繰り返していたら、だんだん自分のやるべきことがはっきり見えてきました。猟のために飼ってた犬を友人に譲ったのも、そういうタイミングだったのかも。

そうして残った「やるべきこと」のリストには「やりたいこと」だけが残っていることに気がついた。

なんとまあ、気がつけばやりたいことで家族を養える基盤がいつの間にかできてたじゃない。今ではシンプルにゲストハウス業とトイレ業に絞って活動していて、おかげさまで本業で忙しくなってきました。「協力隊」という特殊な期間に様々なことに手を広げてみて結果的にはよかったと思っています(多くの方に期待をもたせたりご迷惑をおかけしたりしましたが)。

4月に協力隊をやめて以降様々な「処理」やら「支払い」に精神潰されかけていましたがそれらから解放されてようやく落ち着いたのが先月、7月です。石川県でコンポストトイレ製作ワークショップを終えてから。


7月に、精神的にも経済的にも結婚後初めてくらい落ち着いて、誕生日をこうして心穏やかに迎えられるのはいつぶりのことだろうかと思い出してみるけど最近数年分の誕生日の記憶なんて思い出せない。

だからこそ今年の誕生日のことは結構いつまでも覚えてるんじゃないかな。特別なことはしてないけど、幸せをかみしめるような1日でした。

仕事と家庭

本当にありがたいことなんですがゲストハウスもトイレ製作も、とても忙しくさせてもらっています。

それで今は、子育てにはほとんどノータッチで仕事に集中させてもらえてるっていうのがとても大きい(妻よありがとう)。前までは夕方5時半に温泉に集合(我が家は毎日温泉に入るのです)とか決めてて、別にそう言われたわけじゃないんだけどなんとなくそういう暗黙のルールみたいなのがあった。でも僕は早朝ガッと仕事してお昼だらだらして夕方またエンジンがかかるっていうサイクルででもそれも結構まちまちだから決まった時間に仕事を切り上げる、みたいなのがすごく非効率だった。

ついでに言うと温泉後は家に帰ってご飯の時間。ご飯を妻が作ってる間子供達の面倒をみて、食事は一緒に食べて、洗い物は僕がして、結局9時に子供達が寝るまで僕は仕事に戻れなくて…「うぁぁ仕事してぇ」って思ってたのでずっとイライラして家族と接してた。

もうとにかく自分のペースで仕事したい!と思って妻に懇願して去年の11月くらいから別居することにした。それでも子供が小さかったしよく妻の家には行ってたのだけど、この春からは次男も保育園に行き出し、妻に余裕が出たので僕はほぼほぼ家に帰らなくなった。

たまに夕ご飯を一緒に食べるけど、泊まることはほとんどない。温泉のタイミングも合ったり合わなかったり。妻はケータイを持ってないので今どこで何をしてるのか、お互いほとんど把握してない。たまに会えると3日分の近況報告をしあったりすることも。「居てくれないと困る」っていう状態から「いないのが当たり前」っていう状態になった。仕事の出張のときも「帰りの日」を僕は言わないし妻も聞いてこない。だから僕は気がすむまで出張先でチャンスを得て帰る。

そういう感じだけど前より家族としては仲良くなってると思う。仕事は仕事で思いっきりできるので僕は前より子どもに余裕を持って接することができるようになったし、仕事が思いっきりできるってことは経済的にも余裕が出るってこと。去年までは交通費を懸念して帰れなかった妻の実家(新潟)に、今年はみんなで帰ろうとか車をもっといいやつに買い換えようとか考えれるようになった。

不思議なもんです、地域おこし協力隊として毎月給与をもらいながらゲストハウスしてたときよりも今の方が断然収入が多い。「甘やかし」を自営業1年目に覚えてしまうのはよくない。大きな壁を自力で乗り越える、そこに成長があったと思う。

トイレ業とゲストハウス業の副産物

トイレとゲストハウスの「売り上げ」は単純に目に見える利益ではあるのだけど、それ以上にそこから繋がるご縁がすごく面白くて、目に見えないこういった副産物的なご縁に自分の事業の面白さを感じています。

トイレの注文が入ると、その人とできるだけフェイスブックで繋がったりするんだけどやっぱり僕のトイレを買う人は一風変わってる人が多い。すごいことやってる人もかなりいて「あそこに行ったらあの人に会いに行こう」っていう繋がりがトイレを通じて全国にできつつある。僕からしたら雲の上の存在のシャンティクティ臼井さんともトイレを通じて繋がった(臼井さんのブログにも登場しました)。

ゲストハウスikkyuには全国から「これからオフグリッドしたいんです!」という人が集まってくる。

同じ方向を見ている人たちと繋がって、さらに、微力でも自分が役に立てているという実感はとても心地いい。

 

やりたいことをやるために割のいいことを

今後自分のやりたいことだけで生きていくためにはまだまだ基盤作りが必要で、いま同時に二つの事業を仕込んでいる。熊野は本当に外国人観光客が急増中で、バカの一つ覚えみたいだけどikkyuのほかに2軒の民泊をただ今準備中。

一つは妻の自宅兼民泊という感じで今シーズン中(秋くらい)には間に合わせたい。もう一つの物件はikkyuほどじゃないけど水害でダメージを受けた物件なのでゆっくりじっくり作り込もうと考えている。オープンは来春かな。あ、でもまだ宿にするかは未確定で飲食店にするかもしれないし、僕のトイレ制作の作業場にするかもしれない。

ikkyuをやってみて色々反省点が見えてきたので今後の民泊は究極の効率化をテーマに、フリーチェックイン、フリーチェックアウト方式で全くお世話の必要ない運営方式をとる予定。できるだけ自分の労力を現場には割きたくなくて、自分はもっとやるべきことがあるはずだと思っています。トイレ以外にも、世の中に必要なものをどんどん生み出していきたい。トイレも相当マニアックだったけど、今後開発予定のものはもっともっとマニアックなので収入基盤は別に置いておきたいと思っている。熊野に移住してよかったと思う点である。

もうしばらく

そういうわけで僕はもうしばらく熊野に暮らす予定です。

和歌山暮らし、自然が厳しく不便で大変なことも多いですがなんだか好きになってきました。最近は息子たちに内緒で一人で川に遊びに行ったりして。静かに熊野を満喫しています。


やるべきことが決まってしっくり来てる感覚っていうのは、20代の時の「フードロス」へ挑戦していた時期以来じゃないかなぁ。この、自分の心に「しっくり」きて、かつ「家族も養える」っていう2次方程式だか3次方程式だか4次方程式だかを解くのにすごく時間がかかってしまった(1次方程式なんて簡単に解けるのにね)。

でもこれでなんとか大丈夫。ようやくスタートラインに立つことができました。

30にして立つ」孔子の言葉のとおりの人生プランです。笑
40にして惑わず」くらいでいいんだろうなぁ。あと10年くらいはもう少し迷いながら進むつもりです。

ようやく最近人生面白くなってきたところです。最後の20代も駆け抜けます!!