仮想現実メタバースとやらが流行っているらしい。
だいたいのコンセプトを聞いて僕は合点がいった。ああそうか、この世界はメタバースだったのだ、と。
簡単に説明する。今はゴツいVRゴーグルをかけてメタバースに没入しているけれどこれがもっとスマートなメガネになりコンタクトレンズになり、チップになるだろう。意識一つであっちの世界とこっちの世界を行ったり来たりできるようになる。
現状、食欲睡眠欲性欲(あと排泄)を満たすことはあっちの世界では不可能なので現実世界にチョイチョイ戻る必要がある。
でもこれもいずれ解決される時がくるだろう。食欲なんて一番簡単で、チューブに繋がれて点滴されていればいいわけで。物理的な感触や嗅覚、味覚なども適切な脳神経を刺激する技術さえ開発されればあっちの世界でも味わえるようになる。カツカレーの美味しさも、ビンタされる痛みも、性の快楽も。排泄に関してはどうするんだろう。わからないけれどAIが答えを導いてくれる。
そう、なんにせよAIというツールを手に入れたということが大きい。「メタバースから帰ってこなくてもいい方法」をどんどん導いてくれるだろう。
そしてやがて人類はチューブに繋がれて実際にメタバースに暮らすようになり、「現実世界」に戻る必要がなくなり、戻る方法もわからなくなる…。
え、待って俺らが「現実世界」と認識してるこの世界こそ実は過去の人類が作り出したメタバースなんじゃね?
少なくとも「ここはメタバースじゃない」って証明すること、できなくね?
俺の本体どこ!?!?!?!?!?!
まさに、映画マトリックスの世界ですな。
「お前いい歳して中二病みたいなこと言うなよ」って言われるかもしれない。でも俺はなんとなくこれでいろんなことに辻褄が合うような気がしている。
たとえば、為政者が頑なに「ドラッグ」を規制していること。
これはドラッグを服用することでトリップしてしまって「本体」にアクセスしたりこの世界の真実に近づいてしまうことを恐れているためであろう。
仏教は真理に近い。輪廻転生はあり得る話だ。現実世界というメタバースで肉体が滅びたとしてもチューブに繋がれた「本体」が生きている限り次の人生が与え続けられる(たまにバグが発生して「死体」がeraseされずにメタバース上に残り続ける=心霊現象)。
メタバースを人類が作って、人類全員がメタバースに移行完了することを「文明の終わり」と呼ぶのかなと思う。そうしてメタバースは何層にも重なっていく。メタバースAの中でメタバースBが生成されBの中でCが生み出され…メタバースは無限に生み出される(=宇宙は膨張している)。
現代の人類が創造しているメタバース上の「アバター」は一応見た目が人類っぽいけど全く違った生物種がはびこるメタバース層もあるだろう。物理法則も全く違った世界が創造できるかもしれない。そもそも物理法則というのはこの世界を創造したプログラマ(あるいはAI)が勝手に入力したデタラメな数式なのかもしれない。
E=mc2なんてこの世界、あいやこのメタバースでだけ通じる物理法則だ。
まあとりあえず「この世界はメタバースかもしれない」「少なくともメタバースではないと証明できるはずがない」という結論に行き着いた私が何を思うのかというと「このメタバースは楽しんだもん勝ちだ」ということです。
「所詮メタバース」そう思ってこの世界この人生に固執しすぎないことが重要。真面目に考えすぎず楽しんじゃえyo!人生は幻。人生は夢そのもの!
それにしても釈迦はすごいよね。この世の真理のかなり近いところを見てきたのではないだろうか。
「この世は地獄である」と説いているのも人間発電所的な地獄絵図を見てきたのではないだろうかと思うよね
輪廻転生は確実にプログラムされていると思う。本体が生き続ける限りいろんな人生を与え続けられる。因果応報はプログラムされているのかな。もしプログラムとしてあるなら、前世で徳を積んだ人は次の人生でボーナスが待っているし、罪を重ねた人はそれなりの来世が待っている。善行に励みつつ、楽しい人生を送りましょう。
まあ最近はそんなスタンスで生きておりますゆえ、このメタバースを隅々まで探検してみたいということを夢見ている日々です。
また、このメタバースの「バグ」に出会っちゃって別世界にトリップしている人に話を聞くのも人生の楽しみとしています。奇跡のりんごの木村さんは確実にこのバグにアクセスしてる。木内鶴彦さんも。この世界の真理を少しでも理解してから今世を閉じたいなと思う日々です。