これからの教育は「情報処理」ではなく「情報編集」藤原和博さんの教育論に共感しまくった!

すごく面白い講演動画を見つけました。

1時間くらいある長い動画なので全部については語りませんが、教育についての解説がすごく面白かったです。

学校で学習するのは「情報処理」いわゆる正解のある問題を解く能力。ジグソーパズル的な学習。こういうった処理能力が画一的に鍛えられた人材が学校で大量生産され、戦後の社会で必要とされてきました。

でも今こういった単なる「情報処理」はロボットに代用可能。AIの台頭により今後ますますこの流れになっていきます。

人間的な仕事ってそうではない「情報編集能力」にある。あるものを組み合わせて納得解をつくる力。LEGO的な学習。こういう人材が「情報処理人材」を使う側。いわゆる経営者。希少価値(=代替不可能な人材)が上がり稼ぎがあがる。

ざっくり言うとこんな感じだったと思います。

そうそう!とすごく納得することがたくさんあって、学校で学ぶことって本当「情報処理」的な作業ばかりでした。でもそれが悪いかといったら賛否両論あるとは思います。

村上春樹の小説で主人公のワタナベくんがすごく的確にいいこと言ってます。

魅力的な女性「ミドリちゃん」に現代教育の意味なんてあるの?という感じの問いかけに対しての冷静な答えがなんともいえずよい。

「ねえワタナベ君、英語の仮定法現在と仮定法過去の違いをきちんと説明できる?」と突然僕に質問した。
「できると思うよ」と僕は言った。
「ちょっと訊きたいんだけれど、そういうのが日常生活の中で何かの役に立ってる?」

「日常生活の中で役に立つということはあまりないね」と僕は言った。「でも具体的に何かの役に立つというよりは、そういうのは物事をより系統的に捉えるための訓練になるんだと僕は思ってるけれど」(中略)

「そういうのが何か役に立つのかしら?」
「どうかな」と僕は言った。「まあある種のことはやりやすくなるだろね」
「たとえばどんなことが?」
「形而上的思考、数ヵ国語の習得、たとえばね」
「それが何かの役に立つのかしら?」
それはその人次第だね。役に立つ人もいるし、立たない人もいる。でもそういうのはあくまで訓練なんであって役に立つ立たないはその次の問題なんだよ。最初にも言ったように」
「ふうん」と緑は感心したように言って、僕の手を引いて坂道を下りつづけた。「ワタナベ君って人にもの説明するのがとても上手なのね」

ワタナベくんの言うことも一理あるというか大いに正論で、現代教育はある種、思考法の訓練のようなもの。役に立つ立たないはその次の問題。僕はこの訓練は人生で大いに役に立っていると感じています(最近ようやく肯定できるようになった)。ただし現代教育は正解を探す「処理能力」にずいぶん偏っているので、編集能力が育たないということがよくあるとは思います。

その編集能力=納得解を紡ぎ出す能力を問われる教育というのがこれからの人材に必要だと感じます。だって情報処理はAIが全部やってくれるのだから。情報処理人間はいつまでも「使われる」側だし誰かに時間を奪われる生き方になってしまうと思います。まあ、情報編集能力を身につけてヒエラルキーの上に行きましょう!っていう乱暴な論旨にはなってしまうんだけど、同じ時間を「学習」にリソース費やすのであればどっちに費やしますか?って話。

だから僕はこどもを塾とかに行かせるのは反対派なんだよなぁ(そもそも学校にも行かせたくない)。

学校では情報処理しか教えてくれないんだから、せめて課外活動では情報編集能力を鍛える方がいいんでないの!?と。

じゃあ情報編集能力はどうやって鍛えるのか、というと先ほどの講演動画でじっくり話されているし、藤原さんの書籍も面白そうです。

もう高学歴を崇拝する時代は終わりになると思います。本当に。情報処理が恐ろしくできたところで社会では使い物にならないということがかなり証明されてきています…。「一流大学」に才能だけで入ることのできた一部の天才以外は「情報処理訓練」に人生のリソースぶっこみまくっているので通常発達するべきものが欠落しているということが多々あるのです。

本当の「賢さ」ってなんだろうか、それを親がまず見極めてあげるべきです。

ちなみになぜ僕が「情報編集能力」も高いかというと(勘違い?笑)、小さい頃ず〜〜〜〜っと「ニューブロック」で遊んでたからです。マジで周りが見えなくなるくらい集中して、時間を忘れてブロック遊びしてた。これが今の「編集力」の基礎になってると本当に実感してる。僕の子供にも買い与えました。小さいお子さんがいる方は、ぜひ。

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