こんにちはモーリーです。
僕はコンポストトイレを販売しているのですが、購入してくれた人の「その後」が気になる…。ってなわけで先日徳島県に行ってきました。今回訪ねたのは美馬市にお住いの「あゆみんとスー」こと廣川さんご一家。トイレのDIYキットを昨年購入してくださいました。
そのご家族は「自給自足家族」として全国的にも結構有名で、よくテレビ等に取材されています。本にもなっています。
あゆみんさん(母)とスーさん(父)が畑や狩猟で食材を入手し、調味料までもほぼ自給。どうしても自給でまかなえない油や米はジビエ肉と交換して入手しています。
まず、このご家族のすごいところが徹底して「既製品・加工品」を食べない・子どもに食べさせないのです。だから学校の給食は食べさせません。お弁当を毎朝持たせます。
畑をいじり、狩猟の罠を見回り、保存食を仕込み…1日のほとんどの時間を「食べること」に費やしている暮らし方を実際にぼくらもそばで見させていただきました。
そこで僕が感じたのは自給自足って一見非効率に見えて、実は一番効率的なのかもしれないな…と。
だって僕らは食べるために自分の時間を使ってお金を稼いで、そのお金で食べ物買うわけでしょ。自給自足はその「労働をお金に変換する」っていうプロセスをすっ飛ばして労働が食べることに直結している生き方。
しかも全てが自分の責任のもとに作った食べ物で、無論そこには「子どもに食べさせたくないもの」は含まれないわけです。
ぼくらは労働をお金に変えて、そのお金で無駄なモノや家賃等に浪費して、残ったわずかなお金でどこでどうやって作られたのかわからない粗悪な食材を購入しています。そうして精神や、臓器等に不調を抱きながら生活している人がたくさんいます。
「効率化」で時間を浮かせておいて、運動不足でジムに通う。
それなら薪を自分で割ったり畑で鍬を振る生活の方が大きな目で見て効率的じゃないだろうか。
効率化の名の下にないがしろにしてしまったものを取り戻すのに時間とお金をかけてしまっているのは果たして「効率的」なのだろうか。効率化の名の下に健康を害して、時間とお金をかけて病院やヘルスケアに通う生き方って幸せなんだろうか。
人はお金を稼ぐために健康を犠牲にしたかと思うと、お金をかけて健康を取り戻そうとする。また、将来の心配ばかりして現在を楽しもうとしない。そういう人は結局、現在も将来も生きてなどいないのだ。あたかも死ぬことなどないかのように生き、本当の意味で生きることなく死んでいく/ダライ・ラマ
— モーリー@持続可能なライフスタイル (@yusukemori87) June 6, 2019
そういうのもう馬鹿らしくないですか。僕は廣川さんご一家の生活を見てそう思ったんですよね。自給自足は真の意味で「効率的だ」って。無駄がない。「食べるために日々働く」それだけで本来いいはずなんですよね。
それから、正しく生きている人は正しい理論を堂々と口にすることができるんだな、と。綺麗ごとじゃないんですよね、机上の理論でもない。「このままだと子どもたちの将来がマズイよね。生活変えなきゃね」って。
誰だって言える言葉だけど実際に生活を自ら変えた人にしか言えない重みがありました。
この動画の最後、20歳のたくみくんも感想で言ってるけど「人生が変わるほどの体験だった」と。
30歳の僕も、大いに感じるところがありました。というか、ほぼ反省に近い感情だけれど…。口先ばっかり「環境を!」って言う前にね、こういった暮らしがベースになければならない。
ただただ反省ですよ…そう言う意味では僕も「人生が変わった」かもしれないなぁ。
ぜひ、動画ご覧ください!