モーリーです。
今日はちょっと思うことがあってこの記事を書きます。
個人的な決意表明なんですけど、
僕、これまでの生き方を変えようと思うんですよね。
「またモーリーの自分語りかよ!」と思われるかもしれませんが、悪しからず。
20代前半の答えを捨てる
お遍路で出た答え
僕は2011年の震災後に1年間仙台にてボランティア活動をしていました。
主に食料の配布活動。仙台市卸売場の売れ残りの野菜や、他県NPOからの委託で仮設住宅のご家庭に食料を配って回っていました。
必死に活動していた時期も過ぎて、現地の状況もだんだん落ち着き、自分と向き合う時間が増えていきました。
そんな折に自分の中である種の「違和感」が大きく育ってきていることに気がついてしまって。
それからは考えてばかりで体が動かず、仙台に暮らしているのにろくに活動もせず、ただコタツの中で悶々としている日々を過ごすばかりでした。
これじゃいかんと、仙台を離れ、当時付き合っていた恋人とも別れ、全てをリセットしてお遍路88箇所巡りの旅に出たのでした。
その旅の中で先述の「ある種の違和感」と向き合うのですが、
その違和感に名前をつけてくれた本と最近出会いました。
その著書から引用させていただきます。
【トルストイのジレンマ】
多くの人が動植物の絶滅、気候変動、格差や分断を大問題としてとらえているにも関わらず、実際のところ、僕らが生きて暮らすことが、壊れた世界のさらなる破壊と殺戮につながっている。
「人の背にまたがり、首を絞め、自分を運ばせながら、自分自身と他者に向かって『この人は本当にかわいそうだ、いかなる手段を使ってでも彼の運命を変えてやりたい』と請け合う。ただし、そのいかなる手段の中には、背中から降りることは含まれていない」
ぼくはこの違和感(トルストイのジレンマ)と向き合うためにお遍路に出たのだと思います。
被災地で見た、津波被害の光景と原発問題が強烈にこの問いを僕に投げかけてきたのでした。
旅の道中、偉大な先輩から譲ってもらったとある本のことが脳みそにへばりついて離れませんでした。
そしてそれがそのまま僕のお遍路の答えとなります。
それは「ぼくはお金を使わずに生きることにした」という本。
僕たちはこの世界のあらゆる「グリッド=網の目」の中に暮らしています。
電線やガス菅、水道など目に見えるグリッドから、運送網、経済網など目に見えないグリッド、抽象的なグリッドまで様々なグリッドの中で高度な分業社会に生きています。
その資本主義グリッドの中にいる限りは世界の破滅にどうしても加担してしまうし、その網の中でもがいたところで
「シンプルな生き方は簡単じゃない。シンプルですらない(壊れた世界で“グッドライフ”を探してより)」という言葉に表されるように、
不自然な形をとってしまうものです。
この資本主義グリッド(=バビロングリッド)から離れる(=OFF GRIDする)方法、それはシンプルに「お金を使わないこと」。
僕はこの圧倒的な正しい回答を拭うことができず、二ヶ月間のお遍路の答えを「お金を使わない暮らし=自給自足を目指す」という一言に集約することになりました。
そうしてその目標に向かって人生を進めていくことに決めました。22歳のときでした。
自給自足の夢を捨てます
ただ、僕はその後の人生が全然つまらないものになってしまいました。
当たり前ですよね。だって、お金を使わずに地球環境に負荷を与えない暮らしを志すってことは
「死んだほうがいいじゃん」ってことに他ならないです。
死んだら、土や水に還ってそれ以上地球に害を与えることもないですから。
もちろん、害のない生活を生きながらに実現してその生き様を残すということは大いなる功績だと思います。
でもそこをGOALに設定しちゃいけない、自分が辛くなるから。大事なのはそれを実現した上で何を目指すのか。
そこが明確でないとふとした瞬間に「俺って死んだほうが地球のためなんじゃないかな….」っていう思いが頭をよぎってしまいます(よぎってました)。
「自給自足はちっちゃな話ですよ」
我が師匠であるテンダー氏(知らない人はこの動画をすぐさまチェックだ!)に
モーリー
と聞いたときに、ハッとする答えが返ってきたのです。
テンダー
ゴツン、と頭を打たれた思い。僕はなんのためにこの世に生を受けたのだろう。生きてる限りはこの世界をよりよくするために尽力しよう、と自分の小ささを反省したのでした。
そうして自給自足という夢を手放すことを決めたのです。
免罪符はいらない
高校時代に「世界がもし100人の村だったら」を読んでから、
他の99人を苦しめない生き方をしたいとずっと思ってきました。
そのときから知らず知らずのうちに世界の歪みの被害を被っている人々に対して罪悪感を抱えて生きていました。
その罪悪感から逃れるための方法をずっと考えてきたし、そのために大学は農学部に進学しました。
そして自給自足のみがその罪悪感から解放される道だと悟り、その生き方にこそ「免罪符」を見出したのです。
しかし、その生き方を目指すのは先述の通り辞めることにします。考え方が変わりました。
僕一人が免罪符を1枚受け取るよりも、
1/100免罪符を1000人に届ける生き方のほうが広がりがあるなって思ったんです。
その手段として、先にも書きましたが「OFF GRID」という生き方がひとつの答えになってきそうです。
生活の全てを一気にOFF GRIDせよ!というのは無理があります。
だから、まずはトイレをOFF GRIDしませんか?という事業から始めることにします。
これが、僕の言う1/100免罪符です。
トイレのあとは、キッチンをOFF GRIDするアイテムを販売したり、
電気をOFF GRIDする事業を展開したりと、ある程度のビジョンがあります。
それからOFF GRIDなシェアハウスを運営したり、OFF GRIDなビレッジを作ったり、OFF GRIDな人々を取材するメディアを作ったり…。
そんなことを考えています。
一部でもいいからOFF GRIDを取り込んだ生き方を提案して、広めていく。
これをぼくのミッションとして再定義しようと思います。
もちろん、この活動には多くの石油を燃やす移動を伴うし、商品の生産にはエネルギーも消費します。
だから、僕自身は免罪符とは縁遠い生き方になります。
前出の「壊れた世界で“グッドライフ”を探して」の中で
という表現で揶揄されていた人種に、自ら進んでなろうとしている愚かさを自覚し心苦しく思います。
でも正直なことを言うと、やっぱり僕はカツカレーの美味しさは手放せないんですよ。
石油を消費して輸入されるインドのスパイスが欲しいんですよ。豚を誰かに飼育してもらって屠殺してもらいたいんですよ。
プロセスを見ずに出来上がったカツカレーを美味しくいただきたいんですよ。
すごいことです。誰かが一生懸命育てたお米、そして豚。それを屠殺して解体してパック詰めして石油を使って送られてきたのがスーパーに並べられてパートの人件費もまかなってそれをレストランのコックが購入して調理してようやく出来上がったカツカレーがたった800円で食べられる!!資本主義バンザイ!恥ずかしながら、僕はどんなに「環境!」と叫んでもカツカレーを辞める気がないのです。
そんな矛盾だらけの僕にできることといえば、そのグリッドの内側から、自分に改善できる一点にフォーカスして変革を起こすこと。
「木を見て森を見ず」とはよく批判的に使われるけれど、一本の木に集中しなければ目の前の木を倒すことはできませんよね。
「環境」という全体性(=森)を意識しながらも、目の前の一本の木に集中したいという想い。いやむしろ、目の前の一本の木に集中するときはまわりの森が見えないことってよくあるよね。でもそれでいいよね。今はその木と向き合うときだ!
そういうわけで、しばらくは資本主義グリッド、バビロンレイヤーの中で生きていくことにします。
大きな矛盾を抱えながら、僕にできることをやっていこう、そういう想いでおります。
もしかしたら僕という人間に失望する人もいるかもしれませんが、数ヶ年の軌道修正に今は確信を持っています。
とか言って来年にはまた自給自足を目指しているかもしれませんが。いつかはまた戻ると思うんです。最終的にはout of babyronなレイヤーに経済圏(=むら)を作ることが夢です。
さいごに
こどもが生まれてきてくれるタイミングは何かしらの意味があると僕は思っています。
僕は24歳のときに父親になりましたが、あのタイミングで子どもが生まれていなかったら絶対に世捨て人になっていただろうという確信があります。
お金を使わないコミュニティを転々としていただろうし、きっと僕のことだからどこも体質が合わなくて、結局孤独に山奥でOFF GRIDなNO MONEY LIFEを目指すか、あるいは本当に「死んだほうがまし」と言って静かに死んでいたかもしれません。
子どもは、僕を「社会」に繋ぎ止めてくれました。
だからせっかくなのでこの「社会」で何かを成し遂げたいと思っています。
長々と駄文を書き連ねてしまいました。最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございます。