『地球環境のため』って何?環境活動家を目指した僕に311が与えた影響について

先日中日新聞、東京新聞、その他系列の地方紙に僕のインタビュー記事を掲載していただきました。

これまでの活動を振り返る、紙面ほぼ1ページぶんのインタビュー。こんなに大きく載せてもらえるなんて、驚きました。

全文はこちらから読めます→「あの人に迫る

内容的にはいい記事なんだけど、もちろん尺の関係もあって、僕が本当に語りたかった本質についてはじゅうぶんに掲載されていないので今日はこのインタビュー記事では語れなかった本質の部分をここに書いてみようと思います。

学生時代;「環境にいいことをする」が社会貢献と思っていた

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僕はミナマタ病の水俣で生まれ、人間活動の負の側面を小さい頃から教わって育ちました。その影響で高校時代ごろから環境活動に携わって生きていきたいと考えるようになりました。農業に興味を持ち、学生時代には京野菜の生産現場に通って勉強していました。

そうして知った、「食料廃棄」のこと。世界には食糧不足で飢餓に苦しむ人が大勢いるというのに…

「世界の食の不均衡」僕はここをなんとか解決したい!一生をかけて追求するテーマに出会ったと思い、仲間と廃棄食材レストランを始めました。捨てられる野菜をいかす、それは僕にとってチャレンジの連続で、レストランはびっくりするくらいお客さんがきてくれて僕は人生で初めて「自分は社会に貢献している」という実感を得ることができました。これが21歳のころ。

参考

「廃棄食材カフェ」をやっていた僕がフードロスの利用方法を教えます

最近;「環境に負荷をかけない暮らし」が真の社会貢献

311がきっかけで僕の廃棄食材活動が加速して、被災地でも廃棄野菜を避難所に配布するという活動をしていました。

それを1年ほど続けたのですが、途中から僕は「自分がやっていることは本当に”善”なのか」という問いと向き合うことになります。そうして自分と向き合うために四国お遍路参りの旅に出かけます。50日間歩いてぐるぐると考えました。

まず、廃棄食材活動については僕の中で「もうやめよう」ときっぱりと思いました。

僕が廃棄食材レストランを辞めた理由

需要の量と、供給の量は一定だから僕らが廃棄食材を食べたところで廃棄の総量は変わらない。廃棄される食料を購買力のある人が食べたところで社会全体としての食料廃棄量は減らないわけです。ガソリンも使う、廃棄の総量も変わらない。そんなことを考えると僕は心も体も消耗してしまって、廃棄食材レストランは辞めてしまいました。

そうしていきついた答えが「自給自足」でした。

何が「社会貢献」なのかわからないしぼくたちは普通に生活している中で多くのものを傷つけて犠牲にしている。そんな生活を変える、環境破壊に加担しない。何がプラスかわからないからせめてマイナスでない暮らしを確立するというのが僕の答えとなりました。

「生活を変えることが社会貢献」だから国際協力から目を覚ませ

(いろいろあったけど)よきパートナーにも恵まれ、また、こどもにも恵まれて僕らは熊野に移住してそこで環境負荷をかけない暮らしに挑戦することになりました。

当面の目標は食料の自給とエネルギーの自給。お米作りや野菜作りに励んだ移住一年目でした。

いま;「環境に負荷をかけない暮らしをスタンダードにすること」が社会貢献

いろんな思考が渦巻いて、悩みながら電力の自給と食料の自給に取り組みました。しかし、僕の師匠テンダーさんがこんなことを僕に言ってくれました。

モーリー

テンダーさんは自給自足を目指さないのですか?
自分だけの存続が目的じゃなくて、この破綻してるシステムをどう最適化するかが目的だから、自給自足って何かその足しになるの? というふうに思ってる。自給自足はちっちゃな話ですよ

テンダー

そうか!自給自足はちっちゃな話なんだ。

僕はやっぱりおこがましいけれど今の社会を変えたいんだ。大げさに言ったら革命を起こしたいとさえ思っている。

テンダーさんとの出会いで僕はまた、社会に貢献したいと考えるようになりました。ただその「貢献」の定義も311前後の時とは大きく変わって、「より多くの人が環境負荷をかけない暮らしにシフトできるプロダクト作り/場づくり」と具体的な質量を持ったビジョンへと深化しました。

そのビジョンから生まれたのがコンポストトイレです。事業1年目で約100台のコンポストトイレ完成品/DIYキットが売れました。つまり、屎尿垂れ流しから屎尿有効活用にシフトした人が100人!

こうやって僕は「環境負荷をかけない生き方」のハードルをぐっと下げて、多くの人がシフトできるようなきっかけを作っていきたい。そこに僕の社会的な役割を見出したのです。

この6月には「電気工事士」資格も取得する予定です。自分で電力を生み出す生き方「オフグリッド」な生き方を事業として広めたいと思っています。

参考

免罪符を受け取るための生き方はやめた。

最後に

戦後の発展から70余年。急激に生活は便利になり、その代償として急激に環境破壊は進みました。

この課題だらけの時代に生まれたからには「これをいかに解決していくか」を考えるのはとても楽しいことのように僕には思えます。今の交通網があるおかげで物流はここまで進化し、今日注文したものは明日届きます。会いたい人にすぐに会えて、食べたいものがいつでもどこでも食べれます。人生の先輩方、ここまでの「便利」を残してくれてありがとう。これは本当にすごいことです。

それと同時に、残してくれた課題も解決していかなきゃならない。かつて僕が目指した自給自足はその「便利」と「課題」のどちらも手放す生き方でした。せっかくこの時代に生まれたからにはそのどちらもを楽しむ生き方を実践してみたいと思っています。そして二人の子供を持つ親として、よりよい環境を次代に引き継ぎたいと願っ…願うばかりでなく実践するべきだしそこに楽しみを見つけて生きていきたいと考えています。