真夜中のひとりごと

特に何か書きたいと思って筆をとったわけではない。

なんとなく、てきとうに指をカタカタと動かしているだけ。


 

自由ってなんだろう。

夢ってなんだろう。

 

いつも「今」と比べるのは5年前。

あの頃はぼくを縛るものなんて何もなく、

大学も休んでたし、お金は勝手に入ってきていたし(権利収入)、

行きたいところに行けて、やりたいことを選択できた。

 

その制限のまったくない状況で「やりたいこと」を探すのは僕にとっては苦ではなかった。

高校時代からずっとやってみたかったこと。

それは「社会貢献」。

 

長くなるから詳しくはここで書かないけれど、ざっくり言うと捨てられる食べ物を、足りてない人へ。そんな活動。

 

これが僕の絶対的な「善」の行いであった。

 

 


 

その頃はよく「森くんははっきりと自分の夢やビジョンがあってすごいね」

と言われていて、

「どうして自分のやりたいことがないの?」と逆に聞き返して相手を困らせていた。

 

 

ぼくはよくも悪くも、世間知らずたっだのだ。

 

おなかが空いてる人がどこかにいる状況で、食べ物を捨てる行為は全くの「悪」だと信じて疑わなかった。

そしてその悪を討伐する行為が正義。

これが、ぼくのやりたいこと。

これがぼくの夢。

食料廃棄は悪だー!やっつけろー

 

妄信的正義。

妄信的…

 


 

正義の反対ってなんだか知ってるか?

と聞かれたら「悪」?と答えそうになる。

この答えに核心をついた名言がある。

 

正義の反対は悪なんかじゃないんだ。正義の反対は「また別の正義」なんだよ
ーのはらひろしー

歴史には詳しくないけれど、過去の戦争のいきさつなんかを聞くとそれぞれの「正義」と「正義」のぶつかりあいのような気がする。

お互いが正義の為に、敵を討伐せんとする。対テロ戦争なんかもそう。

 

なんだか5年経って冷静パスタになって考えてみると、もしあの頃のぼくが政権を取って首相にでもなっていたら戦争を起こしかねなかった。

そんな馬鹿げた「もし」のはなし。

でもぼくにだけはリアルなはなし。

まだかわいかった「妄信的正義」を、これ以上育てるのを辞めて手放させてくれたのは今の妻のおかげ。本当の平和。いつも戦争を始めるのは男ども。平和の対義語が戦争とはいかがなものか。

 


 

はなしがずれた(もともとテーマなんてないんだけれど)。

書いてるうちにぼくはこの場所で「最近やりたいことがわかんないんすけど」って発表したかったんだと気づいた。

じぶんが本当にやりたいことって何なのか見失ってしまったのです。

 

そう、昔のおれからカウンターパンチ。

「どうして自分のやりたいことがないの?」

 

ぼくの将来の夢は「正義」だった。でも正義になるのは恐ろしい一面もある。

安倍晋三大統領だってきっと「正義」のために突き進んでいるんですよね。

おつかれさまです。

 

やりたいこと…

将来の夢…

目指すのは「平和」。

伊勢谷友介じゃないけど「人類が生き残るための貢献」

 

方向性、どっちの階段をのぼったらいいかはわかってる。

ひとつめの階段もいま片足のっけてる。

登ってくうちに「やりたいこと」も必ず見つかると予感めいたものがある。

じゃあどうしていま迷う?かけ登ればいいだけじゃん。

こたえはこれ。

家族を養えるのかどうか

これが重くのしかかってくる。

 


 

 

この命題によって思考が矮小化しているのが自分でもよくわかる。

くだらない人間になっちまったと自分でも残念に思う。

①やりたいこと思いっきりやる

副産物的に家族が養えちゃってる

くらいの順序が理想。

そうだ、順序を変えればいいのか。

the answer is blown in the wind

よくわからない。

この文章をどうまとめたらいいのかもわからない。


 

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まとめてがんちゃん。

The future depends on what we do in the present.
未来は、「今、我々が何を為すか」にかかっている。

 

There is no path to peace. Peace is the path.

平和への道はない。平和こそが道なのだ。

 

Find purpose, the means will follow.

目的を見つけよ。手段は後からついてくる。

 

You must be the change you want to see in the world.

あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。

 

要は目の前に養うべき家族がいて、でもぼくは世界は一体どうしたらよくなるのかばかり考えてしまっていて、

そのギャップがぼくを苦しめているんだと思う。

「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。」

とがんちゃんが言うように、世界云々はまずは横に置いておいて、自らが平和的な生活を実現し、家族を愛し、争いを放棄しどの生物も苦しめない暮らしを形にする。

まずはここから始めなきゃならん、と思うわけです。

 

そしてその平和という名の「正義」を振りかざすのではなく、

「楽しいよ、楽しいよ」とただ言ってればいいのかもなあ。

そう考えると、いま住んでいる場所で森家の平和は実現できそうだし、

世界は各家庭の集合体、世界は実は自分なのでR

 

ちょうどよく文章もまとまったし、ねむたくなったし、寝ます。

ひとりごとを聞いてくれてありがとさん

 

2 Comments

oki

先日は東京お疲れ様でした。

正義の反対派また別の正義・・・
その通りですね。

言葉の通り、客観的に物事を判断できるようになれれば、冷静で中立的(平和的?)な答えが見いだせるようになるのかもしれませんね。

僕もたまに、正義のぶつかり合いで自分の存在や、ここにいていいのだろうかとか考えることがあります。ですが、悩み苦しみの果て答えはいつもパートナーがヒントをくれます。
男にとって支えがあるということは本当に強くなれるし、同時に悩みもたくさんでてきますね。
まぁその悩みもまた、パートナーのおかげで乗り越えちゃったりするんですけどね。
客観的に物事を見れることは、選択肢が多くなると思います、ですが時には感情的になることで、自分の野心・目標・やりたいことに突き進めるのではないかと思い、僕の正義をぶん回します。
お互い正義をぶつけ合うのではなく、分かり合えるような客観的(平和的)判断ができるようになりたいですねぇ。僕はまだ世間知らずだと思います・・・

ごめんなさい、何がいいたいのかわからないコメントになってしまいましたが
今度ご飯でもご一緒させていただきたいと思っています!
いいひとりごと聞かせて頂きました。

yusuke

おきくーん 嬉しいコメントをありがとう〜。そうそう、「ですが時には感情的になることで、自分の野心・目標・やりたいことに突き進めるのではないかと思い、僕の正義をぶん回します。」という部分は非常に共感する!やっぱり、猪突妄信(猛進)というように、誰になんと言われようと俺はこれを達成するんだ!となりふり構わず突き進むことで物凄い結果が出せるのだと思うよ。その手綱をパートナーがうまく握って操縦してくれたらいいけど…。またはなそー!そしてこの記事はただの独り言でくだらない記事なので(笑)いったん隠すことにします〜。ごめんね!さんきゅー!

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